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02 直前の日常

02 直前の日常
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 2019年12月。

「山下部長、いる?」

「あー、社長、どうしました?」

「ちょっとどうするかまだ決めてないんだけどさ、熱海にあるホテルに新店舗を出さないかみたいな話があって、ちょっと先方にアポ取って話聞いてきてくれないか?連絡先はこれだから。」

「わかりました。もし良さそうな話だったら出すんですか?」

「どうするかね?人手も足りないし、場所が場所だからねぇ。スタッフの寮とかも必要になりそうだし、そもそも働く人が集まるかの問題もあるしね。あまり気乗りしてないってのが正直なところかな?」

「なるほど。この話はどこから?」

「知り合いがそのホテルの近所にお店出してて、ホテルの人から誰かリラクゼーションのお店できる人いないかって相談されて俺に話が来たって感じかな。まぁ信頼できる知り合いだから変な話ではないと思うけど。」

「わかりました。まずは話聞いてきますね。その場ではやるやらないには触れずに持ち帰って検討すると伝えてきます。」

「よろしく頼むよ。」

「ここにリラクゼーションのお店があったんだけど、前の業者が適当すぎてやめてもらったんですよ。で新しく入ってくれるところを探してるんです。」

「適当っていうのは?」

「スタッフ数も少ないし、責任者も全然顔出さないし、約束守らないしで正直信頼をなくしたっていうところですね。」

「それは大変でしたね。ここは売上はどんな感じでしたか?」

「あとでメールでデータを送りますが、夏のピーク時はフル稼働な感じですが、オフシーズンはやっぱり苦戦しますね。日帰り客が来るような感じの場所じゃないので、客はほぼ宿泊客と考えてもらって問題ないです。」

「スタッフは自社雇用じゃないとだめとかの縛りはありますか?」

「それはないです。うちとしては休まずに運営してもらえれば問題はないので、時期によってスタッフ数を調整していただいても構いません。」

 その他、いろいろなやりとりをした結果、私の中ではやっても良さそうかなという感触があった。ただやるとなれば私が担当することになりそうだからちょっと大変になるなという心配はあったが。

 社長とも相談し、とりあえずやるという方向で進めることとなった。やはり私が担当となり、準備から運営まですべて任されることとなった。

 先方のホテルには前向きに進めたい旨を伝え、月に1~2度、打ち合わせに行った。打ち合わせはいつもいい雰囲気で、競合もないらしく感触はとてもいいものだった。

 種々の資料を提出し、2月にはほぼ出店が決まり、契約を結ぶ段階まで来ていた。出店時期は2020年7月の予定となった。

 しかしそのさなか、契約締結を大きく迷わせる出来事が起こった。

 新型コロナウイルスの発生である。

 12月に武漢で話題になったときは大して気にもとめていなかったが、2月、クルーズ船や北海道での感染が広がり、いよいよ本格的にどうするか検討が必要となってきた。

 打ち合わせに行くたびに、ホテルの担当者にコロナの影響はどうか確認していたが、1月前半くらいは大した影響はなさそうとの回答だったのが、2月になるとホテルの売上自体が7割位になりそうだとか、緊急事態宣言がでたころにはホテルの運営自体が危機的状況だとか、まるで新規出店なんか不可能な状況となってきていた。会社としても、既存店舗の対応でてんやわんやとなっており、新規出店は無理という雰囲気だった。

 とりあえず国の対応などもみながら、一時保留という対応となった。ホテル側もどうしても出店してくれとは言えない状況となっており、一応、店舗設計は進めつつも出店時期も含め未定という進め方となった。

 そんな中、止まった経済を動かすべく、7月から国のGoToトラベルが開始されることになり、観光業に対する大きな支援が期待できることとなった。そのため、ホテル側とも協議し、予定通り7月には出店するものの、その後のコロナの状況によっては休業も可という対応で落ち着いた。 

 そこからが目の回るような毎日だった。

 出店できるかわからない状況だったため、準備があまり進んでおらず、すべてにおいて急いでやる必要があった。求人、寮の準備、店舗造作、販促物作成、等々。

 特に困ったのが求人である。

 世の中はコロナ一色で、こんな中で求人を出しても応募なんかないんじゃないか、というのが社内の意見であった。ただこの業界は売上に応じて収入が決まる歩合給も多く、そういう働き方の人たちは軒並み収入がなくなっている、という事もわかっていた。そこで、求人では固定給ということを前面に出し、収入がなくなって困っている人に応募してもらうという作戦に出た。

 ところがそうはうまくいかず、なかなか応募がない状況が続いた。開店まで2ヶ月を切った5月中旬、ハローワークから連絡が来て面接が決まった。このときはもうよほどのことがない限り採用するしかなかった。

 そしてこの面接が私の人生に大きな影響を与えることになる。

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